igglepiggleのロンドン備忘録

MBA留学中に感じたことをつらつらと

サラリーマン金太郎と企業倫理と舛添知事

妻に勧められて今更ながら漫画サラリーマン金太郎にはまっていた。
休みに入ってから1週間で30巻を読破。
日本のサラリーマン像を良いも悪いも含めて良く描写しているなと思う。

僕は本を読んだ時の記憶力が悪く、ディテールは後から全然思い出せないのだが、この作品で一番心に残ったのは、
「リーダーの要件は"正直であること"と"気前良いこと"の2つ」というくだり。

後者の"気前良く"については、金払いのことに限らず、同僚・後輩の小さなミスに対しては寛大に構えて自分がケツを持つということ。個人的には改善余地大。ついつい目の前の小さいことでイラっとするのは誰にとってもメリットがないなと改めて思う。

で、今回のメインは前者の"正直であること"の方。

先学期の授業で"Business, Government and Society"というCSRっぽいテーマの授業があった(今風だし欧州MBAらしいなと思う)。
その中で出てきたのがこんなケース:
  • あなたは製薬会社のCEOです。あなたの会社はある重大な病気に対する特効薬を開発し、FDAの早期承認を受け、まさに発売しようとしていました。ところがそんな中、新薬の被験者数百人のうちの二人が極めて珍しい、死に至る脳の病気にかかったという知らせが社内研究開発チームから届きます。まだ何が原因なのかはわかりません。社内で知っているのはまだあなたの会社のごく一握りのマネージャーだけです。さてあなたは新薬に対してどのような決断をしますか?

個人的には、何はともあれ自社の薬で死に至る可能性があるというだけで、実験を一旦停止して原因を究明、発売も延期にするしか考えられないと思ったのだが、クラスでは圧倒的少数派だったことにショック。「自社のせいではないかもしれない(偶然とか、サプライヤーが生産過程でやらかしたとか)のに発売中止したり対外公表するのは株価への影響が大きすぎる」的な論調。やっぱり日本に比べて会社は株主の利益を追求すべしという意識が強いんだなと思うが、それにしてもなんだかなぁ。

このケースのメインテーマはビジネスには色々なステークホルダー(株主、社員、経営者、社会)がいるが、それらの優先順位をどのように考え、どのように対応するかということ。
僕のTake Awayは2つ
  • 株主の利益も社員の利益も社会の利益も中長期的に考えれば一致するはずだし、逆に経営者にはそれらが一致するように会社を経営していく責務があると思う。キレイ事かもしれないけど、それができない(自分で信じられない)会社では働きたくない。
    (個人の信条によるところが大きいけど、例えば僕は会社として良いところがいっぱいあると知っていても JTで働くのは避けたいし、同様にパチンコ会社では働きたくない)
  • ステークホルダーマネジメントは常にコミュニケーションを伴う。コミュニケーションは勿論相手にあわせてカスタマイズが必要だけど、八方美人になってはいけない。すなわち、対社員に株主に聞かれたらまずいことを言うべきではないと思うし、役員会議で世間に聞かれたらまずいことを決定すべきではないと思う。そういう意味で、意思決定はConsistentでSincereであるべきだと思う。
    (ケースの例で言えば、この事実を隠したままとりあえず発売するという決断を、副作用かもしれない脳の病気で死んだ被験者の遺族に対して堂々と言えるか?ということ)

この2点目の、Consistent(自分の中で首尾一貫している)、Sincere(誠実である)がサラリーマン金太郎の"正直であること"の個人的な解釈としてしっくりきた。
上記みたいな考え方では平和ボケ、甘ちゃんと、お人好しと言われても仕方ないと思うけど、自分のそういう部分を大事にしていきたいなと思っている。


さて、話は変わって、日本では都知事の経費不正利用問題が問題になって、結局舛添さんは辞職する方向に決まったようだ。
個人的には、ホリエモンなどが言うように、このバッシング祭り自体が不毛だと思うし、これだけで辞職するほどのことか?とは思うけれど、彼のやったことが"正直"ではなかった(コミュニケーションのまずさも含めて)は間違いないだろう。
コミュニケーションの面で言えば「無駄遣いしちゃったけど、ルールは破ってません」は、警察や法律家相手の発言なら良いかもしれないが、国民に向けてのものだとすると支持を得られるものではないことは想像に難くない。
(とはいえ、日本のマスコミはステークホルダーとしては相当やっかいだろうし、どうすれば乗り切れたかという答えは僕も持っていないけれど)

前述の授業で面白い研究が紹介されていた。
「出世とモラルの相関を調べたところ、出世しやすいのは、特にクリーンなグループと特にインモラルなグループで中途半端が一番出世しにくい」というもの。

石原前都知事の億円単位の無駄遣いに比べれば舛添知事は大したことないという記事も散見されるが、この理論に照らして言えば、舛添氏は善人にも悪人にもなり切れなかった半端者というところだろうか。

=================================
ブログを通じて書く技術を高めたいと思っているのだが、ついついダラダラかいてしまう。構造化しすぎると淡白になりすぎるし、バランスが難しい。試行錯誤。

比較優位と家事分担

1年目の授業が終了した。時間ができたので振り返りも兼ねて更新していきたいと思う。

こちらに来てから僕に時間ができたこと、子供ができて家事&子育ての負担が増大したことなどから、日本にいる時に比べて随分家事に参画するようになった。
僕の分担は自然と、皿洗い、ゴミ捨て、洗濯物畳み、子供をお風呂に入れるになったのだが、先学期のCorporate StrategyでComparative Advantage(比較優位)を学んで大変しっくりきた。

比較優位とは、wikipediaでは小難しく書かれているけれど、端的に言うと、
「自分が他人より絶対的に得意でなくても、自分の中で相対的に得意なものに注力すると全体最適になる」ということ。

授業の例で言うと、自動車と小麦両方100の効率で作れるアメリカと、自動車は40、小麦は60の効率で作れるメキシコの2国があった場合、両方共絶対的効率ではアメリカの方が有利だが、アメリカは自動車の生産に注力し、メキシコは「比較優位」である小麦の生産に注力し、貿易を行った方が両国にとって有益になるということ。

家事の例で言えば、僕が妻よりも絶対的に得意なことは殆どないけれど、料理や掃除などは僕と妻の質/効率の差が大きく、皿洗いやゴミ捨ては差が小さいので、後者を僕が担当するのが家庭にとって全体最適ということ。


では、旧来型の日本の家庭の姿である、「夫は仕事ばかりで家事は全くせず、妻は専業主婦」というのは比較優位の極みであり最も理にかなっているのだろうか?
答えは、以前はそうだったかもしれないが今は違う(場合が多い)ということだと思う。主な要因は以下の3つ(コンサル風に)
  1. 「専業」であることの優位の減少
    • 家電の進歩や、利用可能な外部サービスの増加によって、専業になることによるメリットが以前より小さい。極端な例で言うと、川で洗濯をするのには素人と専業で天と地ほどの差がでるが、洗濯機を回す分には誰がやっても殆ど一緒。掃除もルンバを利用できる、ゴミもマンションなら曜日管理を考えず毎日24時間捨てられるなど、随分と素人にも易しくなっていると思う
  2. 女性側のオプションの増大
    • 以前は女性が家庭外で活躍の場を見つけるのが難しく、それ故女性が家事を行うことの機会損失が少なかった。まだ男女の機会均等が完全だとは思わないが、20年前、30年前に比べればかなり改善してきているのではないか
  3. 非経済的なデメリットの増大
    • 上記変化に伴ってということかもしれないが、お金を稼いでくれば良い夫という時代ではなくなった。家事にも子育てにも非協力的な夫は家庭内でも社会的にも信頼を得ることが難しくなっているのではないか。もちろんこの部分は定性的なので、個々人がどれだけ重視するかに依るけれど、少なくとも私個人としては妻と信頼関係を築くことや、子供と一緒の時間を過ごすことは大きな意味を持つ
というわけで、帰国して仕事が忙しくなっても出来る限り家事・育児に参画していこうと思う。上のモデルでは捉えきれてないけれど、実際の運用にあたっては、習慣とか意識の問題が大きいから、この時間があるときに意識を変えることができて幸運だったと思う。


ついでに、比較優位はキャリアを考える上でも使える。
就活やキャリアの岐路ではついつい、「自分は何が得意なんだろう」「これについてはあの人の方ができるしな・・・」などという考えに陥ることがあるけれど、絶対的に他人より得意なものでなくても自分が比較優位を持っている(と思える)ことを頑張れば自分にとっても社会にとっても最適だと思えば少しは気が楽になるかもしれない。そして自分が好きだと思えるけれど比較優位でないことなんて殆どないのだから、好きかどうかを重視すれば良いと思う。